現場ノート


6年ほど前に読んだ岡潔と小林秀雄の対談『人間の建設』(新潮文庫)を再読しています。

文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による歴史的「雑談」集を読みながら、どっちつかず的凡才の脳ミソがよろこんでいます。

全体の1割ほど進んだところに、こんな掛け合いがあります。

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岡:よい批評家であるためには、詩人でなければならないというふうなことは言えますか。

小林:そうだと思います。

岡:本質は直観と情熱でしょう

小林:そうだと思いますね。

岡:批評家というのは、詩人と関係がないように思われていますが、つきるところ作品の批評も、直観し情熱をもつということが本質になりますね。

小林:勘が内容ですからね。

岡:勘というから、どうでもよいと思うのです。勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを実現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで書いていくうちに、内容が流れる。

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ふと思いつき

「批評家」という名詞を

「土木技術者」に置き換えてみました。

よい「土木技術者」であるためには、詩人でなければならない

本質は直観と情熱でしょう

・つきるところ「土木という仕事」も、直観し情熱をもつということが本質になりますね。

・勘というから、どうでもよいと思うのです。勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを実現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで「モノとして」いくうちに、よい仕事ができる。

どうでしょう。

よいとは思いませんか?

思いつきに独り悦に入り

キーボードを叩く週末のおじさんなのでした。

でわ。

(みやうち)

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