現場ノート



若手社員研修の2日目は朝からの曇天

次の日は雨になりそうな予報を受け

3日目に予定していた「礒部組の足跡をたどりながら土木を学ぶ」ツアーを前倒しです。

さあ、行くよ!

とまず向かった先は北川村中部にある和田星神社。

戦後すぐまでは、おなじく北川村にある木積星神社とともに

お弓祭りが行われていたというお宮です。

ん?

礒部組の歴史探訪実習なのに、なぜ神社?

ハイ

疑問はごもっともですが

ココには礒部組の歴史を語るうえで欠かせないものが鎮座ましましているのです。

じゃん!






頌徳碑(しょうとくひ)。

頌徳とは「徳を称える」という意味です。

つまり

誰かの徳を称えるために建てられた石碑ですね。

苔むして

そこに刻まれた文字にはよくわからないところがあるのですが

冒頭にはたしかに

「奈半利町礒部組」とあります。






なんとかして判読しようとする若者たち。

わたしも参加してみますが

完全に解読することはできませんでした。

がっ

しか~し

将来こんなこともあろうかと

今をさかのぼること11年前に写真に収め

その文字を写し撮っていた人がいました。

(わたしデスけど^^;)




奈半利町礒部組社長礒部英昭氏

至誠温厚にして敬神の念深く

自費を以って星神社参道を開設寄進された御厚志に感謝し

永くこの功績を顕彰す

 昭和五十七年四月吉日

 和田小島氏子一同


近江商人の「三方よし」にいわく

「売り手よし、買い手よし、世間よし」。

つまり、

良いモノを売って買い手に喜んでもらい、

もうかった利益をひとり占めせずに世間に還元して喜んでもらう。

というのがその精神です。

50年後の今

期せずしてわが礒部組は

「三方良しの公共事業」の旗振り役となっていますが

この創業者礒部英昭の行いは

まさに「三方よし」精神を体現したもの。

もちろん、人一倍「敬神の念」にあふれた方でしたから

まちがいなくその想いはあったのでしょうが

それにも増して

「地域のため」「地元の人たちのため」

という心が

自費で神社参道を開設するという行為となってあらわれたのだと思います。

そういった意味で

イのイチバンに連れてきたかったのがココ

和田星神社なのでした。

(つづく)

(みやうち^^;)



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