現場ノート



墓石?

気づいたのは

河原へと降りて

現場沿いに下流までつづく工事用道路を

付け終えたあたりのことでした。

いや

疑いようもない墓石です。




山本千之丞さんと奥さんの米さんのお墓に建てられていたものでしょう。

旦那さんの方は天保15年で

奥さんが文久3年に亡くなったようです。

調べてみると

天保という元号は文政のあとで弘化の前

1831年から1845年までの15年間を指すので

天保15年(1844年)というのはその末期です。

ちなみにこの時代は徳川家斉と家慶の治世ですが

享保の改革、寛政の改革と並んで江戸期三大改革のひとつに数えられる

天保の改革を主導した老中水野忠邦の存在がもっとも有名で

他には

天保の大飢饉や大塩平八郎の乱があったのが天保時代です。

それに対して

米さんが亡くなったのは文久3年(1863年)とありますから

その19年後。

当時は今ほど長生きをしない時代ですから

おそらく千之丞さんが早死だったのではないかと推測できます。

文久3年といえば

すでに世の中は幕末の動乱のまっただなかで

幕末史のなかでも特筆すべき事件があった年として有名です。

孝明天皇と中川宮が画策し薩摩藩と会津藩が加わって

当時攘夷派の中心であった長州藩とそれと通じていた三条実美らの公家を京都から追放し

これから後の薩長対立の根源となったのがそれ

「八月十八日政変」です。

お墓が建てられた当時の時代背景はそれぐらいにしておくとして

山本

といえば

今でもこの近辺にはその姓をもつ家が何軒かあり

さっそく聞き込みを開始したのですが

とうとうわからず終い。

何はともあれ

弔いをしようということで

社長家が菩提寺とする奈半利町にある正覚寺の御住職に

(ちなみにぼくもその檀家なのですが)

現場まで御足労願いました。

住職の言うには

いちがいに川から流れてきたものとは判断できないし

古い墓石が投棄されたものの可能性もある

とのことでしたが

とりあえず弔いましょう

ということで

お性根抜き(魂抜き、抜魂、閉眼供養=お墓や仏壇などから読経によって魂を抜くこと。墓石の場合はそうすることでただの石になる)をしてもらいました。




費用はいかほど?

とたずねると

「公共工事のなかで出てきたものなので要りません」

とのこと。

🙏🙏🙏

和尚さんと魂が抜かれた墓石とに

心のなかで合掌礼拝して

一件落着となりました。

長いことこの商売をやってきてると

祀られなくなったお社はたまにあり

無縁仏?

のようなものに巡り合ったこともありますが

墓石

そのものを河原でハッケンしたのは初めてのこと。

いや~~~

いろいろあるもんですねえ (^o^)

ともあれ

180年前に想いを馳せ

もういちど

🙏🙏🙏

合掌礼拝

(みやうち)

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