
国道493号北川村安倉の土砂崩れ現場です。
画像は、被災から2日後の7月4日土曜日に設置したWEBカメラの画面をスクショしたものです。
これでリアルタイムに現場の状況を確認できます。
異常はないか?異常はなし!てな感じです。
といっても、初めてここの様子を見る皆さんの多くは、思わず向かって左を見てしまうのではないでしょうか。
ではご要望にお応えして、カメラをパンしてみましょう。

平成30年7月豪雨(西日本豪雨)によって崩れた山を復旧したものです。
せっかくですから、あらためて西日本豪雨の概要をおさらいしてみましょう。
平成30年の6月末から7月初めの約10日間にかけて、前線や湿った空気の影響で、降り始めからの総降水量が
四国地方で1800ミリ、東海地方で1200ミリ、九州北部地方で900ミリ、近畿地方で600ミリ、中国地方で500ミリを超えるところがあるなど、7 月の月降水量平年値の2~4倍となる大雨でした。九州北部、四国、中国、近畿、東海地方の多くで72時間降水量の過去最高を更新した地点が123地点、大雨特別警報は11の府県に対して発表。土砂災害や河川の氾濫によって甚大な被害に見舞われました。土砂災害の件数は広島県の1200件余りを筆頭に1都2府28県で2500件以上発生するなど、これまでの観測記録を更新する大雨でした。
ピークは最終盤、降り始めから9日目の7月6日から8日にかけてです。高知県では安芸市、それからなんといっても、高知自動車道立川(たぢかわ)橋の上り線が吹っ飛んだ災害だと言えば、皆さん思い出してくれるでしょうか。
ぼく自身の当時の行動について記してみたいと思います。そんなの別に知りたかないよ、とおっしゃらずにちょっとばかりお付き合いください。
まず7月5日。昼にはISOの審査がありました。途中、国道493号で土砂崩れ発生、との報あり。それほど大きくはなかったのですが、通行止めとなりました。既に大雨と強風が断続的につづいています。
そんななかにもかかわらず、その夜は、東京からのお客さんと奈半利町で一献。当時ぼくがつづけていたブログを通じて知り合った大学教授で、高知市で講演があったついで(と呼ぶには、約90分の道のりはいささか遠いようにも思います、つまりわざわざ会いに来てくれた)というのですから、雨が降ろうと槍が降ろうとお付き合いしなければならないのが酒飲みの仁義です。ほとんど店が空いてなかったなか、居酒屋プラス一軒のスナックで交誼をあたため別れたときには、雨風はさらに激しくなっていました。
翌朝、起きてテレビの電源をつけると、各地で高速道路の通行止めや公共交通機関の運行取り止めが相次いでいるとのニュースが間断なく流れています。ありゃりゃどうしましょ...じつは翌7日、南紀串本でセミナー講師を務めることとなっており、飛行機で伊丹空港まで飛び、JRきのくに線で現地へ前乗りする予定を立てていたぼくです。すぐに、こりゃムリやな、と思いセミナー主催者に連絡を入れると、和歌山はほとんど降っていないとのこと。となれば、穴をあけるわけにはいきません。さて、どんな方法がある?すぐに調べた結果、採用したルートは以下のものでした。
マイカーで北川村→徳島(約3時間)、徳島港から南海フェリーで和歌山港まで(約2時間)、そこから陸路で串本町へ(約2時間半)。
そうと決まれば急いで出立。10時すぎに徳島港へ着いたのですが、フェリー乗り場は、おそらく同様の考えの人たちだったでしょう、長蛇の列です。窓口にきくと、「21時の便まで満員、キャンセル待ちなら少しは早くなるかもしれません」。が~~~ん。。。思わず呆然となりましたが、セミナー本番は翌日ですので時間はたっぷりあります、気を取り直して長期戦を覚悟しました。
ところが案に反して待機時間はそれほどではなく、数時間後乗船。和歌山港に着きクルマを走らせていると、南下すればするほど上天気です。講演をキャンセルしなくてよかった、と胸をなでおろし、ホテルに着くと一杯やって早めに就寝、翌日はセミナーです。講演の後半、高知自動車道が吹っ飛んだとのニュースを聞きつけた聴講者から、「こんなところに長居をせんと、はよ帰らな」と言ってくれましたが、そこはそれ、後はなんとかなるだろうとセミナーは完遂、「気いつけて帰ってや」という皆のエールを背に受けて南紀串本をあとにしました。
帰宅したのは日が変わって1時だったか2時だったか、とにかく夜中です。怒涛の3日間を振り返って、ほっとひと息つく間もなかったのは、帰路既に「493号で大崩壊」という連絡が入っていたからです。そう、そこからが、ぼくの業務、ぼくに課せられた使命の本番です。つまり、そのときの被災箇所が上の画像なのです。
あれから8年。そんなことなどを思い出しつつ、WEBカメラの映像を確認する朝。さあ、今日もガンバろう。
