現場ノート

私事恐縮

昨年6月、結婚40周年を迎えたのを期に、「お遍路さん」をしておりました。

何回かに分けた八十八ヶ所巡礼が終わったのは今月はじめ。ご存知のない方にいちおう説明すると、そのはじめ第一番は徳島県霊山寺で、結願となる八十八番は香川県大窪寺。つまり、先日行ってきたのは香川県だということになります。

その2日目。たしかあれは高松市だったと思います。

交差点で停まったぼくが何気なく右横を見てみると、目にとまったのは一枚の看板。





そこにはこう書かれていました。

「あの龍馬さんだって27歳まで人生迷っていました」

いったいなんの宣伝だ?

目をこらして見てみようとしますが、折悪しく信号が赤から青へと変わってしまい、どこのどなたがどういう目的で出している看板かはわからずじまい。

それはそれとして、クルマを走らせながら、おじさんただただ、笑いがこみあげてきたのです。

「オレなんか今でも迷いっぱなし、迷い路ウロウロだよ!」

心のなかでそうつぶやきながら、また笑うぼくを、助手席にすわる妻が気味悪そうにながめ、こう問いかけます。

「どうしたが?」

いやね、かくかくしかじかと理由を説明します。

「そうそう、アナタはいつまでも何をやっても遠回りやキね」

返ってきた言葉にぼくは無言。

そうでもないのだが...反論したいのですが、うなずくところが多々ありすぎるほどあるからです。

すると、そんなぼくの脳内にあるメロディーが浮かんできました。



♪ひとつ曲がり角ひとつ間違えて

 迷い道くねくね♪


目の前の路は、ときに真っ直ぐ、またときには曲がり、ときに枝分かれ、そして迷路のように入り組んだりすることもあります。

でも、歩きつづけるのを止めない。

いや、たとえときには止まったとしても、無明長夜の闇路で途方に暮れたとしても、一筋の灯りを頼りに、また歩きつづけ始める。

それを止めなければ、そのうち何がしらかのゴールに着くことができます。

といってもそのゴールは、次へと出発する地点、すなわちスタートラインでもあります。

だからまた、歩きつづけ始めなければなりません。

テクテクとウロウロと、ときには止まって現在位置を確認し、ときには全力で疾走したりもしますが、それらを統べてぼくは、「歩く」と呼びます。

そんなふうに歩きつづけてきました。

たぶんこれからも、そうでしょう。

となると、あの看板に書いていることも、まんざらマチガッているわけではありません。

「あの龍馬さんだって27歳まで人生迷っていました」

いわんや凡庸なこの辺境の土木屋においてをや。

そこに考えが至ると、また可笑しくなってきました。


♪ひとつ曲がり角ひとつ間違えて

 迷い道くねくね♪


そのあと、案の定、次の札所へと行く道をまちがえてしまったのは言うまでもありません。

(いや、そんな意味ちゃうし)



(みやうち)



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