現場ノート

かつて[土木技術(Civil Engineering)]という月刊誌がありました。

過去形なのは休刊してしまったからなのですが、縁があってぼくも2度ほど寄稿させてもらったことがあります。

そのつながりで出版元の理工図書さんからぼくのもとに毎月届けられており、会社のデスクのうしろには今でもそのバックナンバーがずらりと並んでいます。

きのうのことです。

何の気なしにその背表紙群をながめていたら、4年前の2月号に目がとまりました。



その号の特集は「俳句と土木」。

そういえばあんな文章があったな、たしか・・・と、記憶をたどり検討をつけてページをひらくと、すぐにそれは見つかりました。

近ごろめっきり進化する記憶力の劣化と日々向き合っている身ですので、まだまだだいじょぶじゃないかオレも、と少しばかり安堵しながら編集部によって記された「イントロダクション」という名の巻頭文を読み進めると、3年前と同様、いたく感激した次第ですので、以下、ぼくが重要だと感じた箇所を抜粋します。

(前略)

「制約」とは一概に表現を不自由にするものではなく、創造性や自由をもたらしてくれる契機でもあるのだ。

土木事業でも、同じことが言えるのではないだろうか。工期や予算、発注者からの要望といった様々な制約のもとで土木構造物はつくられる。そういった制約があるからこそ技術者らは、その課題=制約をいかにうまくクリアし、その中でどのぐらいのクリエイティビティを発揮できるかが、市民に根ざした構造物をつくれるかどうかの重要なファクターとなる。

人は恐らく完全なる「自由」の状態から、クリエイティブなものをつくることはできない。不自由があるからこそ、そこを突破口として、思考し想像力を膨らませてものをつくる。

(後略)

もちろん、これを読んで何を感じるかどう思うか、また何も感じないかどうも思わないか、それは各人各様、人それぞれの圧倒的自由のなかにあります。

とはいえせっかく記憶の彼方からよみがえってきたのですもの、どこかの誰かに届いたらよいなと思い引用しました。

ポイントは「制約」であり、その克服です。

昔も今も、そして未来も。

それが「土木技術」の肝であり、だから辛くもあり、だからこそおもしろくもある。

それが「土木」だとぼくは思うのです。

だからえぶりばでぃ、それぞれが自分の持ち場でそれぞれの制約をクリアするために笑顔でたたかおうではありませんか!

と時節柄ついつい選挙演説口調になってしまったところで、今日はこれまで!

でわ。

(みやうち)

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