おとといのつづきです。
ないアタマを絞り、一生懸命に考え、「とべらの語源は土へらである」という結論にたどり着いたぼくは
別に特段の目的もないうちに、あらためて初めのテクスト
→【とべら考(序)】
を読み返していました。
その冒頭の文章はこうです。
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北川村和田地区で施工中の高規格道路擁壁工事。
ちょっとした崩壊がありました。
泥岩層の岩盤崩壊です。
くずれた部分を取り除いてみると
きれいな滑り面が出現。
底を掘ったことで
それまで閉じていた動こうとする力が解放されてくずれたようです。
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「それまで閉じていた動こうとする力が解放された」
専門用語で言うと「応力の解放」。
山などを掘ることで、そこにかかっていた荷重が取り除かれると、解放された地盤が変形する現象を指します。
今回の場合は、流れ盤であったことがまず第一の要因
掘削面に確認できる湧水が第二の要因
そして床掘りの最終段階ですべり面の末端を掘ったことが、崩壊の直接的な原因だったと推定されます。
う~ん・・「閉じていた」ではなく「閉じ込められていた」とした方がよかったかな
と自分の文章の至らなさに思いを馳せながら字面をながめていると
ん?
閉じていた?
動こうとするちから?
解放?
とべら?
とびら?
そうか!
いやそうだ!
そういえば・・・
なんとはなしに目の端でスルーしていた文面が浮かんできました。
あれはたしかウィキペディア。
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トベラ(扉、学名:Pittosprum tobira)は、トベラ科トベラ属の常緑低木。別名でトビラノキともよばれる。
枝葉は切ると悪臭を発するため、節分にイワシの頭などとともに鬼を払う魔よけとして戸口に掲げられた風習があったことから「扉の木」とよばれ、これが転訛してトベラとなった(学名の種小名tobira(トビラ)もこれによる)。
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なぁ~んだ・・
いろいろ悩んでいた自分がバカらしく思えてきました。
元がトビラならが、トベラとなっても自然です。
さらに調べを進めていくと次のような記述に行き当たりました。
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トベラの名前は、日本語の『扉』に由来すると言われています。そして、『扉を開ける』という意味が込められていると言われます。
(PictureThis【植物の百科事典】「トベラの言語と意味:歴史、文化、シンボルと用途」より)
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現代日本に暮らすぼくたちは
「とびら」と聞くと単にドアを想像することが多いのかもしれません。
しかし「扉」という漢字の成り立ちは古代中国にさかのぼります。
門や戸をあらわす「戸」に「非」という字を加え、「特別な戸」、単なる出入り口ではなく、重要な場所への入り口を意味するようになりました。
そういった由来もあるからでしょうか。
扉という言葉は、字義どおりにはドアとかゲートなのですが、
「扉がひらく」とか「扉をひらく」というように始まりや出発点を象徴する言葉としても当たり前のように使われます。
話を元へ戻しましょう。
岩盤崩壊です。
閉じていた岩盤が崩れ落ち、内部の面が露呈するという現象です。
言い換えればそれは
「閉じ込められていた力が解放される」ということです。
その現象に対して「扉がひらく」というイメージを重ね合わせることに、何の違和感もありません。
どころか
応力解放という現象を直感的にあらわしていて、至極自然な表現だとさえ感じられます。

山が動いた(岩盤が崩れた)=扉がひらいた。
そこに出現した平滑な面(すべり面)は、その現象の象徴として「とびら」と名づけられた。
それが「とべら」となったのは、常緑低木樹「とべら」の例と同様の転訛と考えても何ら不自然はないでしょう。
その「とべら」が、一体いつの時代から定着したのかは知るすべがありません。
しかしそれは、ここ数十年でできたものではなく、近代的な土木技術や地質学が導入されるずっと前から、土佐の山間で山にかかわってはたらく人々が、四万十帯の崩壊様式を経験的かつ体感的に理解し、その知恵を次世代に継承するために生み出した地域固有の土木用語だと考えれば、そこに有史以来脈々とつづいてきた地域にねざした土木人の系譜に、自分も連なっているのだと思えるのですから、少なくともぼくはそう思うようにします。
さて
高知県中芸地区において岩盤崩壊におけるすべり面の呼称として用いられる「とべら」の語源は
「土べら」
それとも
「とびら」
あなたが支持するのはどっち?
それとも別の語源を提唱しますか?
以上、都合3回にわたる【とべら考】。
拙い解説ではありましたが、かつてぼくが駆け出しだったころ、この地で土木の仕事を営む上で必要な地質の知識を、自身の体験と土着の言葉でぼくに伝承してくれた故礒部昭雄さんに捧げます。
(みやうち)