毎週木曜日のブログ担当はトシ子さん。
今のところ
週5日のうち1日だけですが
たかが1日されど1日
その1日におじさんはどれだけ助けられているか。
十数年にわたってほぼ毎日
独りでつづけてきたんですから
そりゃもう大助かりのコンコンチキです。
で
調子に乗ったおじさんが
きのう
「ついでにもう1日ぶん引き受けてくれない?」
と水を向けてみたんですが
「ムリです。能力の限界です (ノД`)シクシク」
即座にことわられたので
それ以上は言わずにアッサリと引さがりました。
でも・・・
「(ΦωΦ)フフフ…そのうちきっと・・・」
顔には出さずにココロのなかで
そう独りごちるおじさんなのでした。
ということで
本日はいつものようにみやうちおじさんの担当で
若手職員研修Part3。
「礒部組65年の足跡をたどりながら土木を学ぶ」ツアーのつづきです。
考えてみたら
かつて実際に工事した場所をおとずれてこれまでの会社の歩みをふりかえる
というこのテーマに
わたしほどピッタリな人間はいないわけで
(それは単に現場の人間としてはイチバン古株だという理由しかないのですが)
長いあいだ当社のドル箱区間だった
旧県道奈半利東洋線(特に小川川沿いの)=現国道493号を中心として
北川村と奈半利町を南へ北へ山へ川へ
アッチコッチを駆け足でまわったんですが
なにせ65年という時の重みがありますから
1日という時間では到底まわりきれません。
となると
どうしても自分がたずさわった場所へ足が向いてしまうのが人情。
わたしがはじめてつくった橋である蛇谷橋を施工中
朝、現場に来てみると
三段ツノの大鹿が寝ていて
わたしに気づくとおどろいて逃げ出し
わずか3歩で山まで駆け上がった話や
昼間
弁当を食べたあと河原で寝ていたら
アタマの横にマムシがいた話
(あれ?この話、しなかったっけ?)
約70メートル上から山を切りながら降りてくる途中
伝説のユンボオペレーター「ツギオさん」が
「そこ危ないぞ、落ちる」
と言った数分後に岩盤が崩れ落ち
尊敬の眼差しで彼を見たことや
同じ工事で
入社1年目のOさんが
そのツギオさんに叱られて
山の上にすわって一日中泣いていた話
そしてその晩
ふたりで行った奈半利町のスナックで
「なんであんなに泣いた?」
とたずねると
「もうこの会社をやめなければいかんかも、と思ったら悲しかった」
と言った若き日のOさんの思い出。
(あれ?この話もしてない?)
伝説のドカタ「アキオさん」が
片手の指3本で宙に投げ出された自分の身体を支え
九死に一生を得た弘瀬第一桟道橋
(あれ?ひょっとしてこの話も?)
平成23年
さまざまな苦労の末に柚子の出荷に開通を間に合わせた
台風災害の応急復旧工事と
そのときお世話になった小島のお地蔵さん
(うん、この話はした)
などなど。
終わってみたらけっきょく
伝えられなかったことの方が多く
考えてみたら
65年の足跡をたった1日でたどるという
そのスケジュール設定そのものが無茶だったことに気づいたおじさん。
でも
次の日に感想をきくと
各自それなりに思うところがあったようで
けっしてムダな1日ではなかったと胸をなでおろしました。
ということでまたいつか続編を。
というか
折に触れて「歴史」を語らなければいけないな
それが年寄りの務めだな
と
あらためて胸に刻んだおじさんなのでした。
(みやうち)